西湖いやしの里根場について
世界遺産富士山の麓に広がる富士五湖の一つ、西湖。
湖畔の西北、富士山を正面に望む扇状地には、
かつて、「日本一美しい」と称された集落が広がっていました。
武田氏の時代にはすでに形成されていたとされる根場集落には、
約40軒の兜造りと呼ばれる茅葺屋根の民家が棟を突き合わせるように建っていて、
その小さく仕切られた屋敷の庭や道端には、
ダリアや山百合、のこぎり草などが可憐な花を咲かせていました。
日照に恵まれ、積雪も少ないひだまりの里で、
人々は、林業、炭焼き、養蚕、酪農などに勤しみ、
力を合わせて独自の文化を形成しながら、
平和で豊かな暮らしを営んできました。
村人総出で茅葺屋根の葺き替えをし、
昔ながらの茅葺の民家を存続する一方で、
より良い暮らしを求めて道路の舗装や水道や改良かまどの整備、
電話の普及などにも村をあげて取り組むなど、
先進的な村づくりをしていました。
1966(昭和41)年9月、西湖周辺では、秋雨前線と台風24号によって大雨が続いていました。
そこへ、台風26号による記録的豪雨が追い打ちをかけ、ついに耐え切れなくなった山腹が崩壊。
「山津波」と呼ばれていた土石流が一気に沢を下り、根場集落を直撃しました。
9月25日、未明のことです。
これにより、当時41棟あった茅葺民家のうち、37棟が全半壊。
平和な暮らしは一瞬にして奪われ、集落は消滅してしまいました。
それから40年を経た2006年、台風災害で失われた美しい茅葺集落の原風景を復活させ、
地域の歴史や文化、この地ならではの自然環境を生かした新たな観光交流拠点を創出することを目指して、
20棟の茅葺家屋を中心とした「西湖いやしの里根場」が誕生しました。
古材を用いて当時のままの兜造りの茅葺屋根を再建すると共に、炭焼き小屋や、蚕を育てる養蚕室も再現しています。
長い時間を経て蘇った茅葺集落で、四季折々の美しい風景と世界遺産富士山の雄姿を存分に愛でながら、
ものづくり体験に心躍らせ、素朴な郷土料理に舌鼓を打つ、心豊かなひとときをお楽しみください。